Medical Challenger
  1. ホーム
  2. メディカルチャレンジャー
  3. 諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實

諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實

自由に生き、誰かの役に立つ

常に誰かの身になって考え、実践する、「温かな医療」をテーマに掲げる鎌田實氏。東京医科歯科大学を卒業後、長野県茅野市にある諏訪中央病院に赴任し、住民と一緒に取り組んできた地域医療活動は、日本における地域医療の端緒となり、その後のモデルケースになりました。1991年からは、チェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシ共和国で医療支援に携わり、2004年からは紛争の絶えないイラクでも活動を続ける同氏に、医師として生きていくうえで大切にしていること、また決してぶれることのない熱意の源泉について伺いました。

境遇から脱却するために選んだ医師の道

私が医師を志したそもそものきっかけは、世界を見たいと思ったから。どういうことかというと、幼少の頃は家がものすごく貧しくて、どこにも連れ出してもらえなかったのです。母親が重い心臓病を患っており、父は必死に働きましたが、稼ぎは治療費に消えてしまう状況でした。

だから僕は、学校の図書館でたくさん本を読みました。頭の中ではいつも世界に飛び出していた。そして、今は同級生の誰よりもどこにも行けないけれど、大人になったら同級生の誰よりもどこにでも行けるようになりたいと思っていたのです。

貧しい環境から抜け出し、誰かの役に立ちながら、ひょっとしたら世界も見られるかもしれない。それが医学部への進学を志した理由でした。

しかし父親は当初、反対しました。勉強なんかしなくていい。誠実に生きてさえいれば、生活はできるのだから無理をするなと。父親のことは尊敬していましたが、自分の人生は違う。自分自身で築き上げたい。だから勉強を重ねたのです。

人手不足にあえぐ長野県の病院へ赴任

私の思う医師という職業の良いところは、自由に生きられることです。国家ライセンスである医師免許があれば、本来は自分自身の選択で、好きな地域へ行けるはずです。例えば、北海道や沖縄で働くこともできるし、海外で医療支援に従事することだってできる。働く場所だって、急性期病院だけでなく、救急病院や緩和ケア病院などさまざまです。けれども医師になった後、自分が自由であることを忘れて、人の命令に従って動く人は多いですね。そうではなくて、自分のやりたいことを見つけて、そのための技術を磨いて、それを困っている人のためいる人のために提供する。それらを自己決定できるのが、医師の魅力であると僕は思っています。

このスタンスは、今でも僕のなかではとても大切です。69歳の自分自身に日々、「お前は空気を読みすぎて、人の顔色を窺って生きていないか?」「お前は自由に生きているか?」「自分の人生の主役になっているか?」と問い続けています。

今から約40年以上前、東京医科歯科大学を卒業して医師になった後、長野県茅野市にある諏訪中央病院への赴任を決めたのも、それが理由です。地方の名前も聞いたことのない病院へ赴任したのは同期の中では僕だけ。もちろん同じ大学出身の先輩医師も、一人もいませんでした。

当時の諏訪中央病院は経営難に陥っており、医師がいなくて困っていると聞きました。自分は若造だけれども、医師不足で困っているのなら、何かの役に立てるのではないかと思ったのです。

諏訪中央病院で地域医療に取り組む理由

僕が赴任した当時、長野県は秋田県に次いで、全国で2番目に脳卒中が多い県でした。なかでも病院のあった茅野市は、県内で脳卒中による死亡率が一番高かった。

そこで僕は赴任後、自分がこの地域の住民だったら、新しくやって来た医師に何をして欲しいかと考えました。当時の脳卒中は今よりも、命は助かっても半身麻痺などの障害が残ることが多かった。ならば、僕が住民だったら、脳卒中にならないようにしてもらった方がいいのではないかと思ったのです。そこで、年間80回、仕事が終わった後に地域の公民館を回って、脳卒中を予防するための食生活改善指導や健康学習会を行いました。医師と住民が一緒になり、地域全体で病気に対処する地域医療を実践したのです。結果、長野県の平均寿命は日本一となりました。

地域に入り込めば、さまざまな課題が見えます。例えば介護をして疲れている女性を見かければ、どうすれば解決できるかを考えることができる。要介護者を病院で預かれば、この人は少し楽になれるのではないか。こうした視点から日本で初のデイサービスにも取り組みました。

僕は諏訪中央病院で徹底して地域医療を推進し、茅野市の地域包括ケアを実践し、数々の「初めて」を行ってきましたが、別にそれを目指したわけではありません。患者や地域の人との触れ合いのなかで、何があったら人々が救われるのかを考えてきた結果なのです。その根幹は、相手の身になって考えることです。

ひとつのエピソードがあります。諏訪中央病院に、乳がんが肺に転移したおばあちゃんが入院していました。おばあちゃんは梅干しを漬けに家へ帰るために、一生懸命、機能回復訓練をしているのです。自分の死期が近いことをちゃんと分かっていて、漬けた梅干しがおいしく食べられる頃まで自分が生きられないと知っていた。でも出来上がったら、子供や孫たちがおいしく食べてくれる。だから、家に帰るために頑張っていました。

僕たち医師をはじめ、理学療法士、看護師は、その思いを大切にするためにサポートをしました。結果、おばあちゃんは一時帰宅し、梅干しを漬けるという思いを遂げ、満足して亡くなりました。遺された家族は、おばあちゃんの満足な様子を見ることで、新しい出発ができるのです。

こうした温かな医療があってこそ、命の循環は行われていくのだと思います。

子供たちを救う海外での支援活動

相手の身になって考える、誰かの役に立つという僕の基本スタンスは、チェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシ共和国で子供たちに向けた支援や、イラクの紛争地帯における支援活動でも同じです。

子供たちは生まれる場所を選べない。子供たちに原発事故や戦争の責任はありません。ならば医師として、自分のできる範囲で助けたいと思ったのです。ベラルーシ共和国では約14億円の医療機器や医薬品を支援し、イラクではイスラム国が間近にいる地域で活動を行い、難民のドクターが難民を診療するシステムを作り出しました。誰に命令されてもこのような活動はしなかったでしょう。僕が自分で決めたことだから、頑張れるのです。

自由に生き、誰かの役に立つ。それが医師の醍醐味だと僕は思います。高度医療を身につけるのも、救急医療に従事するのも、患者さんの死に方にこだわった医療を追及したっていい。医師の世界は広い。だから面白いのです。若い人々には、自分の意志で決め、責任を持ち、自分の道を邁進する医師を目指して、頑張って欲しいですね。


JIM-NETが主催する写真展で講演する鎌田氏

鎌田 實(かまた みのる)氏プロフィール

東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県・諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、潰れかけていた病院を再生させた。「健康づくり運動」を実践し、脳卒中死亡率の高かった長野県は長寿日本一、医療費も安い地域となった。一方1991年より約25年間、ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援してきた(JCF)。2004年にはイラク支援を開始。イラクの4つの小児病院へ10年間で4億円の薬を送り、凶暴な過激派集団「イスラム国」が暴れ、空爆が行われているイラク北部の都市アルビルを拠点に、難民キャンプでの診察を続けている(JIM-NET)。東北の被災者支援にもいち早く取り組み、「がんばらない」「1%はだれかのために」と言いながら、多方面で常に100%以上の精力的な活動を行っている。
ベストセラーとなった『がんばらない』(集英社)をはじめ、著書多数。作家としても意欲的に活動中。